担任 西村殿
最近、現在の学校教育について考えさせられることが非常に多く、子供の将来に対する不安がつのるとともに、疑問が湧出しております。
先妻との間にできた長男と二男が同じ三保第二小学校の1年生として登校していた約10年前とは全く様変わりしてしまったとしか言いようのない状況に困惑しています。
時代が変わったと言われてしまえばそれだけのことなのでしょうが、この4月以降疑問に感じている点について質問させていただきたいと思います。
「学校側からの家庭(親)に対する要望・指示事項の内容」についてですが、これは教育方針のガイドラインに則ったものなのでしょうか?
中でも「宿題のチェック及び評価」と「お手伝いの指定」について、学校側の逸脱した権限行使としか思えないのです。
入学して早々から親に宿題のチェックをするよう指示が出されています。
宿題をやらせる又はやる癖をつけさせる等、親が協力すべきことはあると思いますが、その成果及び正誤判断は本来学校側がするべきことなのではないのですか?
最初はひらがなの練習プリント1枚であったものが、徐々にその数量が増えていますし、安易に学校側がしなければいけないことを、さも親がすべきことのように丸投げしているようにも思えるのですがいかがでしょうか?
だいたい音読の評価なんて、私たち親と先生の教え方とでは、絶対に同じにはならないし、実際、感情を込めた読み方を教えても単語のアクセントや棒読み等、学校で変に直されて来る始末です。
また、計算帳の回答速度を毎日記録させられることについて子供に聞いてみたら、
最終的には「1分」で出来るようにとやらされている
と聞かされ唖然としました。
教育論を交わすつもりはありませんが、計算式と答えを早口で唱えさせるという曲芸のようなことをさせたら計算に強い子供ができるのですか?
そしてその記録を親がチェックして毎日つけなきゃならないなんて普通に考えておかしくないですか?
いったい学校側が子供に何をさせようとしているのか皆目わからないです。
このような教え方の食い違いが子供の深層心理に”迷い”を生じ、かかる分野への興味を薄れさせてしまう恐れがあることをご存じですか?
小学1年生だからという理由で、こんな指示・要望を親に負担させているのでしょうか?
6歳児を学校側の都合で過小評価したり、過大評価していているようではまともな教育などできるはずもなく、そのことを改善しようともしない学校に強く憤りを覚えます。
「家でのお手伝いの指定」についてですが、子供たちにお手伝いを習慣づけさせることは悪いことではないと思いますし、むしろやらせるべきことだと思います。
しかし、学校側がいちいちその種目まで指定してやらせるというのは趣旨が違ってきていますよね?
これでは”お手伝いを習慣づけさせる”というような結果ではなく、”指示された個々の種目の仕事を子供に教える”ってことになっていますよね?
少なくともうちでは指示のあったお手伝いは以前から普通にやらせていますし、わざわざと改めて教える必要はないんです。
それにもかかわらず、学校側からわざわざと「洗濯物をたたむ」などと宿題のように指定されれば、翌日までに洗濯物を用意しなければならず、その指示のためだけに我が家の生活スタイルを変更しなければならないなんて納得がいきません。
各家庭で普段からお手伝いをさせている場合とそうでない場合ではお手伝いの内容も違って当たり前なのに無神経に一律の指示が出されていることに何か意味はあるのでしょうか?
このように「宿題のチェック」や「お手伝いの指定」だけをクローズアップしても、学校側が出している要望や指示は、その権限を逸脱したものとしか思えないし、第一、一生懸命家庭での子育てをしている親に対して非常に無礼だということに気づいておられないのでしょうか?
子供のしなければならないことのチェックを親がしなければならないということは、結局のところ、親までもが学校側に採点されているような感じで毎日気分が悪いです。
だからといって、うちだけがその指示に従わなかったら、子供が学校で特別扱いを受けたり、いじめの対象になる可能性もあることを考慮すれば簡単に無視もできない現実もあります。
学校内での指導方針等への批判も無いわけではありませんが、別問題として今回は論外としますが、家庭(親)のやり方までも学校側が教育しようなどと考えているような指示・要望については疑問視せざるを得ないですし、今後とも改善が見られないようならば、このような指示・要望を是認している学校を徹底的に糾弾する覚悟でいます。
私の家の場合、子供の教育には非常に興味も関心もありますし、どちらかといえば熱心な方だと思いますが、家庭における子供の立場は付録だと思っています。
これからも学校生活の中で遠足、運動会、文化祭、受験…いろんなイベントがあると思いますが、絶対に子供中心の生活にはしません。
親には親のしなければいけないことが毎日山積みですし、その時々の状況やプライオリティーによって、必ずしも子供を優先しないということです。
個々の家庭にはそれぞれにいろんな事情や考え方があるのに、それを意図のわからない学校側の要望・指示事項で埋め尽くされることでねじ曲げられるなんて、はっきりいって迷惑です。
すべての親が子供の教育に熱心であるはずもなく、学校側としては子供本人とその親との三位一体の関係の中で教育ができることが理想なのでしょうから、非協力的な親にもある程度負担を追わせることで理想に近づけたいのはわかるのですが、学校側の負うべき責務と親が負うべき責務を混同してしまうのはいかがなものでしょうか?
子供の教育のためという題目を掲げれば何を指示しても許されると思われているとしたら勘違いも甚だしい。
学校でしか教えられないことがあるならば、家庭でしか教えられないことがあります。
親として協力できることはもっと別なところにあると思います。
質問とともに私見も述べさせていただきましたが、不躾な内容も多々あると思います。子供の教育という問題に対して真剣に取り組みたい気持ちの表れだと思っていただけたら幸いです。
お忙しいこととは思いますが、回答方よろしくお願いします。 |